ザンビアで見たものを、お伝えします

フローラ
フローラ

リビングストンからザンビアの首都ルサカへのバス移動は
途中タイヤが2回も破裂してとんだ珍道中になった

ルサカで出会った日本人の旅人、スギさんにルサカから少し離れた村に日本のお寺があると教えてもらう
そこには日本人のお上人(おしょうにん)がいて数年前のバックパッカーはよくお寺に泊めてもらったそうだ

次の朝、早速その村を探しに行くことにした
スギさんいわくバスターミナルで「おしょうにん」と言ってれば誰かが行き先を教えてくれるらしい
たまたま宿のスタッフがおしょうにんがいる村がある「チクンビ」という地域の出身で行き方を詳しく教えてくれた
ザンビア人の彼女が「ナンミョウホウレンゲー」と手を合わせてお経を唱えることが出来たのには驚いた

現地人でごった返しているバスターミナルで「チクンビ」と「おしょうにん」をキーワードに尋ね歩くと

お爺さんが「チクンビ行きのバスは別のバス停からだよ、一緒に来なさい」とそこまで連れて行ってくれた
路上駐車のミニバンまで案内され、お爺さんは「では、気をつけて」と行ってしまった

 

定員が埋まるまで待って出発した後は数時間走って乗換えで降ろされた
乗換え待ちと言われても、ただの野ざらしの道端に放り出されただけで

一緒に降りた現地の人に目的地のチクンビまであとどれくらいか聞いていたら

なんと、おしょうにんはもう村にいないと教えてくれた


今から町へ帰っても日は暮れて宿はどこも空いてないだろうし、ここまで来たら引き返せない

お寺は多分まだ残ってるし、誰かおしょうにんの知り合いもいるだろう

まぁどうにかなると先に進むことにした

久しぶりの冒険心、いつも以上に旅を感じていた

 

バス(というかミニバン)を乗り換えて、ガタガタ道を飛び跳ねながら

同乗している現地の人達に日本の話をしてと言われたので
日本で勉強していた、名ばかり管理職の話をして「日本も大変ねー」なんて談笑していると

お前はここだ!っと突然降ろされてギョッとする

 

何もないし、誰もいない

 

頭の中で「日本人学生、ザンビアで行方不明に」というタイトルが浮かんだ

 

背丈が隠れるくらい生い茂った、雑草の中に通る一本道を進んで行くと

廃墟の前で病的にがりがりなお爺さんが焚き火にあたっていた

聞くとやはりおしょうにんはここにはいないらしい

今は当時お手伝いをしていたローズさんという女性がお寺の管理人をしているらしい


さらに歩くと建物がいくつか見えてきた

貯水槽やトイレ、小学校などがあるがどれも使われず風化している
お寺のほうは想像していた木造建築の日本らしいものではなく
簡素な家の一部屋をお寺ということで使っていたようだ

ドアが開いて出てきた女の子が僕を見て驚いて中の誰かに叫んでいる
出てきたお母さんがローズさんのようだ
事情を説明して、今晩泊めてほしいと頼んだら快くOKしてくれた
おしょうにんがいなくなった後も、時々訪ねてくる旅行者がいるらしい

荷物を置かせてもらって、ローズさんの娘のフローラと村の奥へ買い物へ
奥に行くと民家がいくつか見えた

歩いていると、どこか懐かしくなった

カンボジアの村での日々を思い出して、ここも良い村だなぁと夕日を見ながらしみじみ思う
所々に畑や井戸など各国からの支援の跡があるが、今はどれも機能していないようだ

昔おしょうにんのもとで働いていたというヒトラーさんがこの村の現状について説明してくれた

おしょうにんと呼ばれるその日本人は所属する宗教団体から派遣されてアフリカに来たらしく

もう10年以上も前からこの村に関わり、この地域の支援、またアフリカに日本の仏教を広めるという平和活動をしていたそうだ
しかし2,3年前に突然帰国してしまい、しばらしくしてから村への援助は止まり、彼からの連絡も途絶えてしまったという
またここに戻ってくるのか、後任で他の住職が来るのかはわからないらしく
当時、おしょうにんのもとでコックやガードマンなどの仕事をしていた人は職を失ってしまい
新しい仕事を探そうにも、ここらへんは家族や親戚のコネがないと職にありつくのが難しく無職の人が多いらしい
今はトウモロコシ栽培と砂を売ることで皆どうにか生活しているそうだが
砂は1トン掘っても500円くらいにしかならず生活はかなり厳しいそうだ

ヒトラーさんの家に行くと、そこは屋根が吹き飛んだ代わりにビニールシートがかかっているボロ小屋で

大事そうにとっていた、おしょうにんがこの村にいた昔の写真を見せてもらった
どの写真も皆笑顔で、おしょうにんは村人と仲が良くきっと皆に慕われていたのだろうと感じた

平和活動や支援の様子が写っており、色々な国籍の人がそれに参加していたようで
今とは全然違い数年前は上手くいってたように見えた

「俺にとって今の人生は辛い、未来をどう生きればいいんだ、ここで生き残るのは大変だ」

とヒトラーさんは言う

日本だって不況や就職難、自殺者も多くて色々大変なんだよと説明しても
ザンビアと日本の経済的なベースが違い過ぎて話にならない

夕食はローズさんが作ってくれいて、フローラと3人で食べた

二シマというとうもろこしの粉を練ったものに、野菜が少しという簡素なものだったが

僕が持っていた醤油やマヨネーズを出してくると2人とも面白そうに食べていた
ふと「この子の父親はどこにいるんですか?」と聞きたくなったが

それを今聞いたら2人を暗い気持ちにしてしまうかもしれないので黙っていた

 

電気は無いので、日が沈むのと共に床に着く

ロウソク一本がここではとても貴重になる
貸してもらった土臭いマットに横になっていると、頭の上をネズミがカサカサ走り回って

この日の強烈な体験を回想しながら物思いにふけっているうちに寝ていた

次の朝、ヒトラーさんに村を案内してもらった

誰かが誰かのチキンを盗んだとか、井戸の水を勝手に使ったとか
道中出くわす村人の世間話をヒトラーさんはうんうんと聞いている

皆日本人に慣れているのかフレンドリーで
「おしょうにんはいつ帰ってくるの?」
「次の人はこないの?」

「君が新しいおしょうにんかい?」
とやはりおしょうにんのことが気にかかっているようだが、口にするのは不安だけで

不満や悪口を言うことは無く、彼の人柄の良さを感じた

案内の最後に、今ヒトラーさんが心配しているという病気の女の子の家を訪ねた
彼女は19歳で流産したショックから生活が廃れ、それが祟って体を壊して2ヶ月経つという
胃が悪いらしいが、町まで医者の診察を受けに行くお金は家には無く
詳しい病状は解らないそうだ
NGOのボランティアが定期的に薬を届けてくれるらしく、今は現状維持の状態らしい

 

母親に支えられて体を起こし、細い腕で握手をしてくれた

かなりやつれていたけど、綺麗な人でした


実際にこの目で見て感じる支援の必要さ
ここまでヒトラーさんが案内してくれたのは、現状を見てこの村を助けて欲しいという期待があったのだろう
実際に僕はお金があるから、日本からここまで来れた

でもそのお金は前に進むためのもので、村に寄付をするほどの余裕は無い

ここまで来ても自分はただの学生で
ただここにいるだけじゃ何も出来ないと悟った

旅行者という肩書きがとてもちっぽけに思えて、情けなくなった

でも少しでも役に立つならと、ヒトラーさんにお金を渡すべきか本当に悩んだ
少しの間だが村人と接する彼を見て、信用出来る人だと感じた
でも1人に渡して大丈夫なのか?村長に渡すほうが筋が通ってるのではないか?
色々と考えたが、やはり悪影響も考えられる

今僕がお金を渡せば、これからこの村を訪れる他の旅行者へのプレッシャーにもなる

結局、手を出すのはやめることにした

 

こうなると長居は無用なので町に戻ることにした

ローラさんに達にはお礼を渡し、ヒトラーにも挨拶しようと訪ねたら留守だったので

持ってきていた食料をドアノブに吊るして

フローラとバイバイして村を出た

 

町へ戻るバスの当てが無く、トラックをヒッチハイクして荷台に乗せてもらい

悪路でバンバン跳ねて振り落とされそうになってたら
タイヤがパンクして2時間くらい歩くはめに

ドライバーとスタッフと3人で歩いていたが、ここで彼らの気持ちが変わったら

身包みはがされて、そこらへんにポイだろうなと思うと変な感じだった

 

歩いているとバス待ちの人が路上で待ってたりする

昼間から飲んでる酔っ払いに追いかけ回されながらも、わりとすんなり町に戻ってこれた


少し前まで貧しくて何もないところにいて

今は大型ショッピングモールで、これから宿を探さないといけない

 

これも現実で、あれも現実なのだがこの落差は何なのか

 

後日そのおしょうにんが属する宗教団体に連絡を試みたが

HPに載っている連絡先はデタラメだった

右から2番目がヒトラーさん、帽子は本物を意識してるそうです
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アフリカでこのパゴダを見るとは・・・
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住居、防寒が大変です
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